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ちょっと覗いて観る当時の女性事情!戦国時代の女絵巻/エンビー(envy:女性の魅力を創造するインターネット情報マガジン)

女性たちの間で「戦国時代」がちょっとしたブームとなっています。この時代の史実に精通した“歴女(れきじょ)”なるマニアも台頭。戦国武将たちを自らの男性観に照らし合わせたり、その生きざまに共感するなど、ライフスタイルに大きな影響を受けているケースも。envy(エンビー)では、この戦国武将たちと同時代を生きた女たちに着目。あるときは政略結婚の“駒”にされ、あるときは慰み者に、そして合戦に借り出されることも……そんな戦国時代の女絵巻をクローズアップします。

戦国時代とは? 男たちの野望渦巻く群雄割拠の状態/エンビー(envy:女性の魅力を創造するインターネット情報マガジン)

戦国時代については諸説あるが、1493~1573年頃というのが一般的。火付け役は言うまでもなく織田信長。尾張の一大名に過ぎなかった信長が、室町幕府を倒し天下統一に動き始めたことが各地の大名たちを触発。領土をめぐる勢力争いが熾烈化した。そんな男たちの野望渦巻く時代に、女性たちはどのように生きたのだろうか。

大名家の姫といえば優雅なセレブ的イメージ。実際には――/エンビー(envy:女性の魅力を創造するインターネット情報マガジン)

日本全土を統一し治めていた室町幕府が崩壊。幕府により守られていた隣国の関係が緊迫した状態に。そこで新たな同盟の人質として使われたのが姫たちであった。尾張を治める織田信長は、京へ進軍するため後方の守りを固める必要があった。そこで、三河の徳川家康の息子である信康に、自分の娘である徳姫を嫁がせる。これにより、信長と家康は親戚関係となり、同盟の証となった。

有無も言わさず遠い国に嫁に出される姫たち。彼女らは嫁ぎ先の動きを監視し報告する役割も担わされ、セレブの暮らしどころか、半ばスパイのような活動が求められた。このため夫に不信感を抱かれたり、人質として肩身の狭い思いをすることもしばしば。さらには、政略結婚で結ばれた同盟さえ破棄されることが多く、そのたびに姫たちは国に返されたり、裏切り者のレッテルを貼られ処刑されることさえあった。

戦国時代を生きた姫たちの悲しい物語/エンビー(envy:女性の魅力を創造するインターネット情報マガジン)

絶世の美女と評されながら 不運な人生を遂げた

織田信長の妹・お市

女独裁者として君臨し 富以外はつかめなかった姫

浅井長政×お市の娘 茶々

織田信長の妹として生まれ、政略結婚で近江の浅井長政に嫁いだのが「絶世の美女」と評されたお市。しかし、長政(彼もまたイケメンだったとか)とはお互いひと目で惹かれあい、5人の子宝にも恵まれるなど仲の良い夫婦だった。また、信長も長政に絶大な信頼を抱いていた。しかし、京へと上洛する予定だった信長が急に進路を変更。朝倉家の討伐へと向かったことから事態は一変する。古くから朝倉家と親交の厚かった浅井家は、両家から援軍を求められ板ばさみに。結局、長政が選んだのは朝倉家だった。愛するお市を信長のもとへ返し、信長軍に合戦を挑むも惜敗。長政は戦死する。さらに浅井長政の裏切りを許せなかった信長は、長政との間にお市がもうけた幼い2人の息子を処刑する。夫に加え息子まで実の兄に殺されたお市の心境は計り知れないものだったに違いない。しかし、そんな心の傷も癒えないうちにお市は信長の家臣である柴田勝家のもとに嫁がされる。勝家は、お市と3人の娘を大切にしてくれ、お市も次第に心開いていくが、この幸せも長くは続かなかった。明智光秀の謀反により信長が本能寺で暗殺され、信長の跡取りをめぐって、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と柴田勝家が対立し、やがて戦に発展。秀吉の策略にかかり敗色濃厚となった勝家は、ともに城に立てこもっていたお市と3人の娘たちを逃がそうとするも、お市が選んだの勝家に寄り添っての自害だった。そして、このとき逃がした3人の娘の1人、茶々もまた武将たちの思惑に翻弄された人生を歩むことになるのだった――。

父・浅井長政、母・お市の長女として誕生した茶々(後の淀姫)。両親の器量が受け継がれ、茶々をはじめ娘たちは、それは美しかったという。豊臣秀吉の城攻めにより義父・柴田勝家と母親・お市を失った3姉妹は戦場から逃げ延び、逃亡生活を送るが結局、仇である豊臣秀吉に引き取られることなる。秀吉は、長女である茶々を自分の側室へと迎える。名家の娘であることを自負している茶々にとって、もともと農民であった秀吉の側室など、気に入らなかったに違いない。また、この若く美しい少女が、両親を殺した60歳を超えた老人を本当に愛する事が出来るかも疑問だ。茶々に残された道は、秀吉の嫡男を産むこと。幸い正室である、北の政所(ねね)には子供ができず、側室たちは、誰よりも早く秀吉の寵愛を受け、嫡男を産むことに必死だった。そして、この寵愛を受けたのは茶々であった。男子を出産し、大喜びした秀吉は、不落の城といわれる大阪城を息子・秀頼に与えた。この大阪城には、秀吉が作り上げた莫大な財産あり、茶々はこのお金を使って、寺院の建設や改修に力を注いだ。やがて、秀吉は、病気にかかり他界。天下は豊臣家の嫡男である秀頼が受け継ぐものと思われたが、徳川家康により事態は一変。家康は、秀頼に言いがかりをつけ、大阪城へと進軍。茶々は、母であるお市と同様に大阪城に立てこもり、息子・秀頼と共に自害。徳川時代の幕開けとなる。

一般市民は、目まぐるしく変化する情勢に翻弄される戦国時代は、まさに女難時代だった!?/エンビー(envy:女性の魅力を創造するインターネット情報マガジン)

この時代において平凡に暮らす女性は、ごく僅かだったかもしれない.。戦になれば男手である夫や息子は徴兵され、戻ってこないこともしばしば。また、敗れた国の農民は、敵国の兵士たちに財産である畑や農作物を略奪され、妻を辱められるなど悲惨な運命が待っていた。この時代の女性の一寸先は闇であったに違いない。

こんな時代を強く逞しく生き抜くために女たちは――女性にとって最大の武器は女であること/エンビー(envy:女性の魅力を創造するインターネット情報マガジン)

この時代の女性に「人権」など主張できる立場でなかったことは言うまでもない。彼女らにとって最大の武器は、「女であること」。また、「貞操を守る」といった観念は、この時代にまったくなかった……。

非力な女性が合戦で活躍!女鉄砲隊

他家へ忍び込み徴略!女しのび「くの一」

戦に借り出されるのは男性だけではなかったという説もある。中でも、男性より腕力の劣る女性を使った鉄砲隊を編成したとか。

女であることを最大限活用し、徴略を仕掛けるために訓練された女忍者「くのいち」。性的なテクニックまで身につけ、男をメロメロにしてしまうこともあったとか。

合戦中の男たちを性的にもてなす
「御陣女郎」という存在も

スパイとして送り込まれる
政略結婚の姫

当時の男は、出陣する3日前から禁欲とされ、女性を一切遠ざけたとされる。生死を分ける戦いの前に、精神を統一するという意味合いもあったらしい。しかし、いざ出陣するとこれは解禁(!?)。御陣女郎なる女が戦場に赴き、兵士たちを接待した。いわば売春婦である。いつ死ぬか分からない兵士たちの精神状態は極めて不安定であったため、戦場ではこうした女性の存在が必要不可欠だと考えられた。

政略結婚のもと送り込まれる姫たちの最も重要な使命が、その国の情報を自国に知らせることである。織田信長の娘・徳姫は、徳川家康の嫡男・徳川康信と結婚。姑との仲が上手くいかず、父である信長に「信康と姑の築山が謀反を企てている」と通報し、織田信長が徳川家康に息子と奥方の処刑を命じたという説がある。その真偽は明らかではないが、家康は信長に忠義を見せるため、実の息子と妻を打ち首にしたと言う。

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